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【アコウ同盟企画:コラム】『三崎のアコウ』


投稿日:2024.02.29

土佐清水市ジオパークさんと佐田岬半島ミュージアムが「アコウ同盟」と銘打って、互い地域を理解し、交流事業を進めていこうことになりました。
まずはアコウについてのコラムをご紹介!!

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北のアコウ

ワシは北のアコウ。
どうだい。見上げるほど大きいだろう。
四国の西、佐田岬半島のはしっこ、三崎という港町で、ワシゃずっとむかしから海をながめておった。だからみんな「三崎のアコウ」とも呼ぶ。こう見えて昔からいつもみんなの話題の中心だったんじゃ。とりわけ「北」かどうかってことでな。

日本が明治という時代だった頃、日本の森を5つのエリアに分けて代表的な植物の名前で呼ぶことになったんじゃ。そのとき一番南の森林帯に付いた名前は「榕樹帯」、すなわちアコウ帯だ。ワシらアコウは南の亜熱帯植物の代表選手だったんじゃ。
20世紀に入ると三好さんという学者が保存する価値のある日本の自然の一例に「土佐西南端、幡多郡地方」の亜熱帯植物を挙げていたよ。あそこにはわしの友人がおる。土佐清水の「松尾のアコウ自生地」って言えばわかるかな?堂々として恰幅のいいやつさ。
そのうち人間たちは、南の代表のアコウがどこまで北に生えているかを調べ始めた。ある時、三好さんの教え子で吉井さんて学者がワシに会いに来たよ。ワシと会うまでにずいぶんあちこち歩いてきたみたいだ。それでやっと辿りついたワシを見て「我が国におけるアコウの限界地のひとつ」て言ってくれた。北限ってやつだ。ワシは北のアコウ代表として、松尾のアコウといっしょにテンネンキネンブツっていう称号をもらったよ。1921年だったな。いやぁー。あん時は嬉しかったなぁ。
ところが、わしがホントに北限かどうか疑うやつがいてね。今でも耳にするが、やれ徳島や和歌山のアコウが北だの、いや山口県にもあるだの、九州はどうだの。「北」を巡ってワシゃいつも話題の中心だ。でもね、吉井さんはちゃんと書き残してくれていたんじゃ。ただアコウが生えているだけじゃなく、巨樹として育つ点も北限地として重要で、平均気温や海流の影響も考えて、九州~四国~本州の沿岸に描かれる「アコウ分布北限線」という曲線を形成する上で、四国西岸の象徴的な北限地としてワシを選んでくれたのじゃ。まあワシらも生き物じゃからの、地図上でちょっとでも北にある方が勝ちみたいな話じゃなくて、育つのに居心地のいい場所で大きく生えてきたんよな。

おかげでワシもずいぶん有名になったわい。その証拠に今度『広辞苑』っていうぶ厚い国語辞典で「アコウ」ってひいてごらん。まあワシらにはどうでもよいことだがな。ともあれ、今まで大事にしてくれて、ホントにありがとう。これから先も手を焼かすけど、みんなで大事にしてくれたらうれしいな。

□参考文献『大きなアコウ樹の下で』(町見郷土館展示解説シート16)(町見郷土館、2011年)

 

PDFはこちら コラム:北のアコウ